アトツギの旗手たち
「チャレンジしないと始まらない」。挫折で学んだ挑戦する心。

西田製作所(倉吉市)代表取締役社長
西田尊義さん(31)

 人の脳は、基本的に生命維持のために「変化」することを嫌うと聞いた。リスクが付いて回るし、誰だって容易なことではない。それが従業員50人を超える企業の船頭役ならなおのことだろう。「うちは祖父が軽トラの荷台に溶接機を積んで現場を回っていたところから始まり、変化をしてきたから生き残ってきた。現状維持は衰退。世の中は常に変わっていくのでチャレンジしていかないといけない」。取材で何度も口にした「チャレンジ」という言葉。2年前に父・篤司さんから家業を引き継いだ元営業マンは、爽やかな笑顔の裏に強い信念をのぞかせた。

トップ営業マンからの転身

小学生時代は工場の裏が自宅。鉄を削る音、油の匂いを感じながら、毎日工場の中を通って帰宅したという。「言葉で継げとはっきり言われたことはないけど、行動を見てたらわかる」。継ぐことになるだろうと、幼心にわかっていた。実家は1966年に祖父・久實さんが溶接業で創業した西田製作所(当時は西田鉄工所)。平成に入った頃は社員数人だったが、2代目の父が金属の切削など金属加工業にシフトチェンジして成長した。

「いずれは帰ろうと思っていたけど、一度は外で働いてみたかった」。大学卒業後は三井不動産のグループ会社に就職。分譲マンションを管理する仕事につき、営業マンとしての才覚を発揮した。3年目には東京支店のトップクラスの成績を収めるまでに。「もっとこうしたら良くなるんじゃないかって毎日話しているような前向きな会社でした」と社風もよく、働きがいもあった。年を追うごとに残りたい気持ちが湧いてきた一方、心境の変化もあったという。

「最後の一年は、自分でいろいろやりたいなって思うようになった。組織の人間だとやれることは限られますから」。仕事でもっと勝負がしたいー。製造業は素人だったが、27歳でUターンを決意。県の就業支援学校で勉強し、地元の加工会社で半年修行。3年前に自社に戻った。

「外の目」で業務改善

社長のバトンを渡されたのは29歳の時。「お前なら大丈夫と渡されるパターンではなく、社長にならないとわからないものは経験しながら成長しろと。知識や経験、お客さんとの関係性。父と比べて絶対的に足りていないものはあるが、このタイミングで勝負できることもある」。東京で得た「外の目」で社業を見直し。人材不足が嘆かれる中、若い社長として親しみやすさを生かしたリクルート活動を行った。学生目線にたち、スマートフォンで検索できるようHPを立ち上げ、パンフレットの充実も図った。今、社員の平均年齢は33歳。「ここ6年くらいは高卒の子が入ってきてくれています」と手応えを感じている。

社員教育も重視。「削っている音を聞いて『この音やばい』とか『こんな感じだ』というのは抽象的なこと。数値化しにくい仕事をリストアップして技術指導につなげたり、年の近い先輩後輩の社員同士で業務日誌を交換させるメンター制度を春から取り入れています」。技術の伝承や社員のメンタルケアにも着手した。

また、同社が扱う製品は、車、バイク、農業用機械、ロボットなどの量産加工が中心だが、自らが培った単品加工を始めた。自らが挑戦を実践。「会合があったりして夜11時くらいから始めて午前2時になることもある」と苦笑いしながら、コツコツ続けている。

「人と接するのが好き」

「整理することは好きじゃない。どっちかというと、やってみようぜ、というタイプ」。そう言いながらも理路整然とした経営ビジョンを語る西田さん。営業マンとして好成績を上げられたのも、社長として会社の課題に気づけるのも理由がある。「ゴールを設定してそこにたどり着くためにはどう計画するかが大事」。そこにはお客様や従業員といった「人」を考える視点がある。

大学時代のバイトは、六本木でバーテンダーとして働いた。多種多様なお客さんと対面して話を聞くことが好きで「話し方や表情、雰囲気で人のことがなんとなくわかるようになった。だから場面によって話し方も変えたりします」。その場で、その人が求めていることに気づき、自分ができることを考える癖がついた。

人と接することが好きなのは昔から。倉吉東高サッカー部時代には県、中国地域のトレセンに選ばれても、知らない人たちと擦り合わせてやっていくことができた。現在も続けているフットサルチームでは「みんな明るいのでそこではチームを落ち着かせられるようにしています。その場にいるなら『あいつがいてよかったな』って思ってもらいたい」と笑顔を見せる。

今は経営者としての自分と向き合い、「まだ本当に大変なことを経験していない。自分はこれから」と3代目として歩みを進めている。欠点も見当たらないような西田さんを作っているのものはなんだろうー。そう思えるほど取材にしっかりと答える姿が印象的で、最後に変化球を投げてみた。「西田さん、挫折したことってあるんですか」。答えてくれた笑顔は少し柔らかなものだった。

「高校に上がるとき、サッカーでプロを目指したくて県外の高校に進みたかったんですけど、そこで親とぶつかって。結局、チャレンジできなかった。それは僕にとって一つの挫折でした。あのときチャレンジすらできなかった。反対されても、なれるかどうかは狭き門でも、チャレンジしなければ始まりませんから」

人生で挫折や失敗は誰にだってある。問題はそれをどう捉え、その後に生かしていくか、だ。挫折で学んだ挑戦する心が、今尚、彼を突き動かす。

文・写真/藤田和俊

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