アトツギの旗手たち
「最悪の判断」から描き始めた未来図。


フカヤ 専務取締役 深谷晋一さん(42)

 日々何を着るかという軽い選択から、生涯をかける仕事を何にするかという重い選択まで、人生は選択の連続だ。選ばなかった方の景色は決して見ることができないし、後悔をしてしまうことだってある。深谷さんは大正時代から続く酒販会社を継ぐために仕事を辞めた決断を「判断としては最悪の判断」と振り返る。でも、その笑顔に後悔の念がないのは、この人の前向きさの賜物であり、同時に、ぼんやりと未来図を描き始めたからだった。

ポジティブな理由のない決断

「ポジティブな理由なんてなかったです」。きっぱり言う。この春、6代目の次期社長として横浜市から地元倉吉市にUターンした。父は大学生の時に亡くなり、母が代わりに会社経営を担ってきたが、その母も気づけば70代が見え始めていた。「僕は僕の人生があるとやってきたけど、10年後は母や会社がどうなるかと考えました。(横浜の)会社に残ればそれなりに裕福な生活ができたかもしれないけど、今のタイミングで家業をソフトランディングさせていくのは僕しかできないなと」。迫られた決断に出した答えだった。
 横浜国大工学部、同大学院を卒業し、日本最大手のエンジニアリング企業である日揮で勤務。石油化学プラントや液化天然ガスプラントの設計という大きな仕事をしていたが、40歳を過ぎて考えることもあったという。「ただ与えられた仕事をこなすことはAIにとって変わられるし、0から1を生み出す才能を考えた時に僕よりできる人はもっといます」。仕事や家業の未来を天秤にかけ、迷った末に後者を選択。中学受験を控えた長男を始め子供3人と妻を説得した。自宅も横浜に構えるほど帰るつもりもなかっただけに「最悪の判断ですよね」と申し訳なさそうに話す。

業界の現状と自社の強み

半年間働いてみて、いろいろわかってきたという。まず予想通り、時代の流れで酒販卸売業界に厳しい現実があること。平成初期をピークに、酒の消費量は前年比5%減がずっと続いているような状況だ。「この地域も同じ。今までと同じことをしていてもいかに下げ幅を減らせるかだけ」と危機感を募らせる。

だが、同時に強みも感じている。「いきなり母が経営者になり、船頭がなく漕ぎ手だけで20年近く会社が残った理由がわかりました」と話すのが社員の能力の高さだ。卸売は商品をメーカーから買い、小売店に卸す仕事。やることはシンプルだが、それだけにお客との信頼関係がものをいう。「トラブルが起こっても、すぐに問題を解決できる社員が何人もいます。日揮の社員は世界一だと思っていましたが、自分の会社にこんな人たちがいたんだと驚きました」と誇らしげに話す。
「でも足りないところは変えていくべきです」と深谷さん。作業の効率化で社員の働きやすさを向上させたり、大企業で学んだノウハウも落とし込むつもりだ。「そうやって空いた時間があれば前向きな取り組みに時間をさきたいんです。間違ってもトライ&エラーをしていく勇気も大切です」。おとなしい県民性を打破していく旗振り役が役目だと自覚する。

新たな商売の仕方を模索

人口減社会の中、鳥取でのパイは少なくなる一方だ。それは間違いないからこそ、深谷さんの視点は違う場所を捉えている。「お客さんの数は少なくなっていますし、その少ないパイを小さな企業で争っても誰も得をしない。外に売り出していく必要性があり、それを伸ばすには一人(自社だけ)ではきついんです」と鋭く分析する。

地方で働くと言う水に慣れると、深谷さんの血が騒ぎ始めた。「僕は物を作るのが好きなんですね。以前は更地だった場所に5年かけて大規模な施設を作る達成感がありましたが、今は売り方のシステムや考え方を考えている。その一つ一つが物だと思うと感覚としては近いかもしれません」。自身の目が変わると、ぼんやりと何かが見え始めた。

「もちろん商品を売りたいけど、それだけじゃだめ。例えば、周りの観光地や食、地域のストーリーを紹介するようなコンテンツを作って一緒に良さを知ってもらう仕掛けがあったり。やせ細った畑をみんなで耕せたら豊かになるような気がするんです」 もう一方の道を歩けば、どうなっていただろかー。それは誰も知るところではない。ただ、家業を継ぐと言う選択をした深谷さんは、この道を着実に歩み始めている。「最悪の判断」から始まった道を、ポジティブに捉えながら。

(文・写真 / 藤田和俊)

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