アトツギの旗手たち
社員のために、会社のためにー。優しき後継の現在地。


気高電機 営業部長 羽馬由和さん(33)

 人間は弱い生き物である。だから誰かと協力し合わなければならないが、そうではなく「孤独」と向き合わなければならない者もいる。その一人が経営者だろう。最後の最後は自分で決断を下し、舵取りをする役目を背負うのには、そのプレッシャーに耐えうる強さが求められる。「社員を守っていくには、結果を出すしかない。自社を取り巻く環境変化、厳しい現実を知っておかないと、優しいだけじゃだめなんです」。それだけに、羽馬さんは現在地を見つめ、自分自身に厳しい目を向ける。

世代交代のタイミング近づく


雄大な日本海を眼前に望む鳥取市気高町に社屋を構える気高電機。1969年、親会社で兵庫県の福伸電機の創業者である羽馬さんの祖父・宮内英二さんが鳥取の地で新しい事業に取り組むために設立した。鳥取三洋からオーブントースターの組み立てを受注し、当時の気高中学校の跡地であった体育館に組立ラインをひいて生産を開始したのが始まりだった。「当時全ての部品を県内外から仕入れて組立だけを行っていたんですが、親会社がプレスが得意だったので、プレスはせめて自社で内製化しようと挑戦したんです」。そこから金型製作や樹脂成形も開始し、最後は商品設計まで、時代とともに業務範囲を広げ、現在の「一貫生産」につなげていった。

今や総売上が100億を超え、派遣社員も含めて社員約300人。中国の工場には600人を雇う企業にまでなった。そんな気高電機には今、世代交代の波が近づいている。会社を成長させてきた現在の幹部や技術者たちが50、60代となり、「最前線で引っ張ってきた方々の知識やノウハウを目に見える形にして継承していかないといけない。その土台を作る時期でもあるんです」と羽馬さん。

後を継ぐと決めてUターン

社長である父・好幸さんの要請を受け、5年前に関東から鳥取にUターンした。大学院を卒業後は医療系の仕事を志し、医療機器メーカーの開発者として4年働いた後だった。迷ったが、自らに「戻るからにはやるぞ」と言い聞かせ、大きな決断を下した。

入社後、自分の同年代である入社3〜5年目の社員が辞めていくなど、社内の課題を目の当たりにした。「ある意味、外を見て帰ったからこそ自社の課題に気づけることもあった」。まず取り組んだのが社員のモチベーションの起点でもある「人事評価制度」の改革、そして成長を促すための仕組み「スキルマップ」を再構築し、社員1人1人が気高電機で何をどのように学び、自身の将来の成長像が見える仕組みを一年かけて作り上げた。

「最初はどういう方向で成長していくんだろうというビジョンがあまり見えなくて。どんなに困難な仕事でも自分の糧になり、成長を期待されていると感じるモチベーションを作るってあげれば乗り越えられると思うんです。背中を見て育てというのは大切だけど今の若者にはなかなか馴染まないし、しっかりしたカリキュラムが組まれていて見えないと、忙しい時期にがむしゃらにやるだけで、いつまでこれが続くんだと思ってしまう」

そうやって会社の宝である社員に目を向けながら、自身は営業部長として社業の可能性を感じている。「強みはやはり最初から最後までものづくりを担える「一貫生産」である。ライフスタイルの著しい変化に伴い、市場では「ものづくり」に対する要求も難しく変わってきている。しかし「ものづくり」自体は決して無くならない。その中で自社の強みも変化に適合できるよう深化・成長を繰り返し、この困難な状況を新たなビジネスチャンスと捉えています」と語る。

社長としての強さとは

「早く自分で決めていくことをできるようにならないといけないんですが、社長にはまだまだ甘いとよく言われます。判断で悩むこともあって、社長に相談すると、あぁこうやって考えるんだなって思わされて」

事業継承を考えると、足りないものが見えてくる。経営者としての采配は、未体験のもの。不安がないと言える、そんな後継者はいないだろう。羽馬さんも、そんな経営者として自身を見据え、悩みは尽きないという。

「これまで会社の課題に対して『こうしないといけない』と動いていましたけど、これからは『こうありたいからこれをする』でやっていかないといけないなと考えるようになったり…」。自分のモチベーションを考えることもある。そんな時に、いつも出てくるのは社員の顔だという。

高校時代、自分で意見を言えないタイプだった。引っ込み思案なところをからかわれたりすることもあったからこそ「痛みを感じている時期があったから、困っている人がいたら助けたい」と思う。学生時代に生徒会や部活の部長を担ったのは、そんな優しさが責任感となったからだ。

「人の気持ちは常に考えたいが、それだけで会社を成長させれればいいですけどそうじゃないので」。社長である父から、炊飯器事業が鳥取三洋からパナソニックに移る時に60億円の売り上げが0になるプレッシャーと戦った時に、わけもなく会社の周りを車でひたすら運転していたと聞き、「誰にも相談できない、経営者の孤独をまだ経験したことがない」と思った。その時に、果たして社員を救えるか、と自問する。

「仕事をする上で自分のためというのはないんですよね。働いてくれる社員と一緒に成長していきたい」。工場を案内してくれる際、社員と親しそうに笑顔で話す羽馬さん。心優しき後継は今、様々な葛藤の中、思う。もっと強くあろうとー。

(文・写真 / 藤田和俊)

前のページに戻る