アトツギの旗手たち
亡き父から継いだ会社。経営は、女性らしく、自分らしく

堀鍍金鉱業所 代表取締役 堀いづみ(42)

 物事にはタイミングというものがあるのだが、自分が全てコントロールできるわけではない。時にはそこに身を委ねていくしかないことがあるのが人生かもしれない。堀さんの社長就任もそうだった。3年前に、父が68歳で急逝。「70歳の時に事業承継しようかという話だったんですけど、急でした。持っている知識や経験を知りたかったですね」。残された地図はない中、女性らしさや自分らしさを生かしながら、社長業に邁進している。

急転直下の就任

堀さんは神戸市の短大を卒業した後、地元の専門学校でパソコン・経理の勉強をしたのち、鳥取県庁で働いた。家業に入社したのは20年前。以来、経理や総務関係の仕事を担ってきた。金属の表面処理をする鍍金(メッキ)業は祖父と祖父の義兄が戦後間もない頃に起こしたという。「当時は医療用のメスを研磨する需要があって、それにメッキをしていた医療器具修理所だったようです。それを父が旧電電公社(現NTT)を辞めて継ぎ、3年前に私が継いだ形です」。当時専務として父の傍で働いていたとはいえ、急展開の就任となった。

事務仕事をしていた堀さんにとって、「30年働いたことがある人でもまだわからないことがある」と言うほど難解なメッキを学ぶのは大変な作業だ。「一般の方は簡単に思うかもしれませんが、金属と電気、機械、化学、物理の知識がいる。一品ずつ手仕事なのでデータが取れず数値化も難しい」という。でも、面白さも感じている。建築、文具、自動車、医療器具…。多岐にわたる用途があり、「いろいろな分野に関われて社会のお役に立っている」と実感している。

社長という重圧

明るく話す堀さんだが、聞けば就任当時は随分悩んでいたという。「父の世代の人間は、まだ女性社長に違和感があったんでしょうね。ずっとその話になると席を外したり、逃げるので話ができなかったんです。ずっと引き継ぐことをノートに書いておいてくれと言ってたんですけど、結局やってくれなかった」と笑うが、苦労は当然あった。

社長とはどういう存在だろうかー。堀さんは自問自答する日々を過ごした。年上の社員も多く、1年目は「どう在ればいいのかわからなかった」と振り返る。他社の経営者のアドバイスを聞いてはそれに納得し、やろうとするがそこに自分の意思はなかった。ある日の会議で、社員にこう言われた。「社長の考えはないんですか?もっと自身の言葉で話してほしい」

20年働いて会社全体のことはある程度把握していたが、その席に就いてみて初めて感じた重圧。「自分の後ろには誰もいないし、私の決断が全て。1年目は、毎日、腹痛と頭痛が朝から続きました」。知らず知らずのうちに、大きなプレッシャーがのしかかっていた。だからこそ、この仕事が好きで、この会社が好きで、代替わりでも残ってくれた社員への感謝を忘れない。

自分らしい指揮

「父と私は、性格的には真反対。私は細かいことを気にするタイプなんです」。昔気質で言葉足らずだった父は、社長然とした人だったが、自分は自分なりのやり方をしようと決めた。重要視しているのがコミュニケーション。それはお客さんに対しても、社員に対してもだ。社員同士の関係や仕事のやり方に問題がないか、こまめに聞き取るためにランチミーティングを開いたり、見えづらかった仕事の評価制度も本格的に進めているという。「自分軸で考えることが多かったけど、相手軸で考えるようになって自分自身も変わってきた」と話す。女性らしい気配りが社内に新たな風を吹き込んでいる。

営業面でも自分らしいやり方に着手。「今、バイクの免許を取りに通っているんです」と堀さん。バイク部品やオールドカーの金属部分の再メッキがこの1、2年で増えているといい、「販促のパンフレットなどに業者のインタビューをしたりしたい。ただ営業に行くだけじゃ面白くないし、自分がバイクに乗っていたらよりユーザーさんとも仲良くなれるじゃないですか」と楽しそうに話してくれた。いずれは社用車としてのバイク導入も検討しており、「今では他の社員も、社長が取ったら次に取らせてくださいと言っています。うちの特徴をどんどん出していきたいですね」。

「以前は社員の言葉に一喜一憂していた時期もあるし、顔色や反応が気になっていた。でも、会社のトップに立つ者としてそれではいけないと思ったんです」と堀さん。先代とは違ったやり方を模索した末、少しずつ見えてきた自分らしさ。それが堀鍍金の、新たな価値を生んでいく。

(文・写真 / 藤田和俊)

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