アトツギの旗手たち
父から子へ。モノづくりを貫き、開拓する心を継ぐ。

開拓 野村亮介さん(37)

 親の背中を見て、子供は育つ。鳥取市内で看板屋や不動産業を営む開拓。次期3代目となる野村さんは、看板職人だった父の背中を追って育った。「中学くらいのとき、よく家に親父の仲間が集まってバーベキューとかしてて、そこで酔うと『鳥取で一番の看板屋になりたい』と言っていたんです。だったら俺が叶えてやろうと」。少年の心に、一つの夢が刻まれた日から20数年。経営者となる時は、刻々と近づいている。好きなことに打ち込む姿、社名の通りのチャレンジ精神。受け継がれてきたものを、背負う準備はできている。

父から子へつなぐ

祖父が不動産業を始めたのが創業の歴史。平成になる頃、祖父が亡くなって父に事業承継した。「その頃、父は別の会社で看板職人だったんです。家業を継いだものの、手を使って仕事をしない不動産業が性分に合わなかったそうです」。そんなとき、自宅を施工した建設会社から看板製作を頼まれ、それを機に看板屋の仕事が増えていったという。「自宅の作業場が段々と広くなっていきましたから。昔はペンキで描いていたので、うちはペンキ屋かな?と思っていたんです」。野村さんが小学1年の頃だった。

好きなことで道を開いてきた父に、知らず知らずのうちに影響を受けた。高校も、大学も、卒業する頃に「特にやりたいことがなかった」というが、好きなことはあった。「昔から絵を描くのも好きだし、物をつくるのも好き。だったら看板屋でいいかって」。自然と思ったのが看板屋を継ぐこと。そして、自らを貫く性格も、父とそっくりだった。

葛藤を経て成長した30代

若さは、勢いと、時として過信を生む。野村さんも例外ではなかった。30代に差し掛かった数年前、看板職人として腕を上げた頃だった。「同じ作業をしても、自分が一番早いし、うまいと思っていて。どうだ!と言わんばかりにいきがっていましたね。でも、自分一人でできることって限られていると気づいたんです」。その自覚は、経営者になるために必要だった。

視点も変化。「社員のことを考えると、いつまでも給料が上がらないのは良くないと思うし、いいと思うことはどんどんやったり、変えたりしていきたかったんです。何かしないといけないと焦っていたんでしょうね。親父とも衝突が多かったです」と笑う。今は我慢と自らに言い聞かせ、じっくりと来るべき時に備えて、〝航海図〟を描いている。

そんな野村さんに対して、父は経営者としての教育も施していた。「他の社員がやっている仕事の指摘も、家に帰ってから『お前が伝えとけ』と言うんです。年上ばかりでしたから言いにくかったんですけど言うしかなかった」と話す。モノづくりを好きになったように、経営者としてのあり方も、気づけば父に学んでいた。今まとめている企業の理念や行動理念も、父から言われてきた言葉が自然に盛り込まれていたという。

アクセルを踏み込む準備

「僕がアクセルで、親父がブレーキ。30年かけてコツコツと会社を大きくしてきた親父は維持していきたがるし、一気には変えられていない」。やりたいことが溢れてくるという。その開拓精神が野村さんを看板屋の枠にとどめようとしない。もっと日常的なことに応用できないかと考えた時に、浮かんだのが衣食住だった。

数年前に、八百屋「ローランドマーケット」を開店。どういう経緯の商品か情報をしっかりと伝えることに、パネル作りのノウハウを生かせると思ったといい、顧客に優しい店づくりが人気を呼んでいる。さらにアイデアは続く。「看板って、基礎をして、柱を立てて、面板をつけて、照明をつけていく。それって家を作っているような工程じゃないかって。やっていることの延長線上に建物のリノベーションもできると思っているんです」。他にも車のカスタムにも技術が生かすことも考えていて、新規事業を話す顔は、実に楽しそうだ。

ポロシャツやユニホームもスタイリッシュに刷新し、自身のカラーを出し始めている野村さん。新たにデザインしているロゴは、鹿がモチーフだとか。「不動産という土台から、鹿の角のように新しいものが派生しているイメージで作りました。社名でもある、開拓精神は大事にしていきたいですね」。ハンドルを握り、アクセルを踏む準備はできている。

(文・写真 / 藤田和俊)

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