アトツギの旗手たち
「車を楽しむ」という価値をつくる、好奇心の塊。

東栄自動車 代表取締役  坂本 啓記さん(37)

 取材場所となった工場では、改造中の車がひときわ存在感を放っていた。「今度、カスタム車の発表会に出すやつで、エアサスを組んでくれと言われていて」と、手がけている仕事を紹介してくれた。帽子のツバにでかでかと書かれた「HITMAN」の文字が主張し、車屋然としたつなぎ姿ではない。全てとは言わないが、外見は中身を映すものだと思っているのだが、父から受け継いだ会社経営同様、独自のスタイルを出している坂本さん。「(自分には)好奇心しかないですから」。我流の生き様を語ってくれた。

基礎を叩き込まれた京都時代

「車業界に入るつもりはなかったんです。あまりに身近だったんで」。父が45年前に車屋を創業。当たり前に感じるものに、改めて価値や興味の視点を持ちにくいのが普通かもしれない。思春期だった中学時代、むしろバイクに憧れを抱いていたが、車好きの友人に次第に影響を受けるように。地元の岩美高を卒業後、修行のために京都の車屋で働いた。若かりし頃の父も、のちに武器となる板金塗装の腕を京都で磨いたというのだから、血は争えない。

京都は職人の町で、そして何よりお客さんの要求が高く、「3人に1人はクレーマーなんじゃないかと思うくらい」と笑うが、どうやら大きなことを言っているわけでもない。「そこまで見ないだろうというところまでチェックされますから。見えないところまでやれ、とよく言われたものです」。それが今の丁寧な仕事ぶりにつながっている。

武器を捨てる覚悟

2年前、「半ば強制的に」会社の経営を父から受け継いだ。時代とともに、車業界が置かれる環境も変化。高度経済成長で皆が車を持つようになり、バブル期には好景気の波もあって車にお金をかける人が多かったという。「車検ごとに買い替える人も買い替えたり、今だったら少しこすっても直さない人もいますが、すぐに修理の依頼があった時代でしたから」と話す。

東栄自動車の武器は、職人だった父が築いた板金技術の高さ。その一番の武器を捨てた。「自動ブレーキができたころから、ぶつからない車になった。年々緩やかに板金が下がっていたのと、職人が定年退職を迎えたタイミングでもありました」。昔からのプライドを持つ父と、冷静に時代の流れと会社経営を考えた上で判断した坂本さん。衝突は絶えなかったという。「自分だってわかってましたよ、(板金が)一番の大きな武器だってことは。誇りも持っていましたし」。最後は会社を継続していくための、苦渋の選択だった。

好奇心とプロデュース力

「なんかね、かっこよさって大事だと思うんです。昔は車で遊ぶ感覚ってあったんですけど…」。燃費の良さや安全性能が求められ、自分の好みにアレンジした改造車は姿を消した。楽しむことを忘れない男は、忘れ去られてしまうものを危惧。「もちろん正当な車屋のサービスで技術の追求を辞めるつもりはない」が、その余白は残している。

一風変わった道を貫くのは、この人の好奇心の賜物だ。「雑誌とか見て、気になる県外の店とか会いに行っちゃうんですよ。それで意気投合したり」。そんな出会いの一つ一つが仕事の幅を柔軟にしていった。音楽、ファッションと車を掛け合わせるなど「車の価値を上げる」ことを仕掛ける一方、技術の習得にも積極的だった。「乗り換えのスパンが長くなっているので、状態を維持し続けるためのディテーリングという洗車技術を広島で学んだんです」。15年も前の話だが、すぐには鳥取で試さず。「直感で動くんだけど、鳥取の市場でどうなんだろうかと考えるんです」と、ようやく蓋を開けた。

「好奇心しかない」。いや、実はそれだけではない。楽しむことを忘れず、どうすれば形にできるかを考えられる力はプロデューサー的な要素だろう。「ここを車好きが集まってカフェを併設したいなぁと思うんですよね。忙しくて車を構える時間もないじゃないですか。ここでゆっくり車を触ってもらう、それが僕の理想」。実に、楽しそうに、夢を語る。

(文・写真 / 藤田和俊)

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