アトツギの旗手たち
靴を通して、人生を豊かにー。その信念を追う。

株式会社シュプリ 代表取締役 岸田 将志さん(34)

 仕事を通して、人は様々なことを学ぶ。企業理念や目指すべき方向性を示す経営者なら、なおのことそうだろう。それは自分自身が何に軸を置いて生きているかを問われるからであり、単に儲かる、儲からないという話だけでもないのが、ビジネスの面白さなのかもしれない。いい経営者には、いい理念がある。「靴を簡単に捨てさせたくない。靴を大事にしてほしい」。まっすぐな目で答える、熱き経営者の話だ。

靴の概念を変えたい

室内にはバーカウンターがあり、綺麗に靴が陳列された棚が並ぶ。岸田さんの事務所は、昔ながらの靴屋というイメージはなく、どこか外国の工房を思わせる雰囲気が漂う。「昔、いろんな国に行った時にブルックリンのお店の感じがいいなと思っていたんです。どうしても靴の修理屋って昔ながらの店のイメージがあると思うんですけど、概念を変えたいなと思って。見える部分、デザインにもこだわりたいんです」

稼業は、倉吉市内で77年続く靴屋で、現在は「シューズショップ コマツ」として営業を続けている。元々は下駄屋をしていた祖母が「これからは靴の時代だ」と、東京に靴を仕入れに行ったのが始まりだった。そんな家に生まれた岸田さんは、中学生の頃にはすでに靴屋を継ごうと決めていたという。「好きなことをしなさいと言われながら、自然と手伝わされていたというか」と笑いながら、「でも、お客さんがたくさん来ていて、接客もしっかりする店だったから、お客さんと会話しながら靴を喜んで買ってもらう姿を見て、楽しそうだなとは思っていました」と振り返る。靴への思いは、こうして育まれた。

挑戦と挫折

靴屋を継ごうという思いから、大学卒業後、東京での就職先も判断基準はしっかりと持っていた。「創業2年目とか、社員10人以下とか。とにかく自分でいろいろやれる力をつけたくて、小さな会社に入りました」。入社式が終わってすぐの電話営業から始まり、企画立案や営業など、何でもやった。始発から終電までがむしゃらだったが、その働き方にも疑問や会社への反発もあった。

そんな折、脱サラをして、趣味で続けていたフットサル仲間と、麻布十番でパーソナルトレーニングジムを開業。しかし、それは20代前半の青年の鼻を、見事なまでにへし折る挑戦となった。「鳥取に帰るつもりだったけど、あんなに早く帰るとは思っていなかった。自分はだめだという劣等感でいっぱいだった」。夜行バスの車内で、車窓のカーテンに隠れて泣いた。

大きな挫折だったが、そこで下を向く岸田さんではない。ジム経験も生かして、ポールを使って歩くノルディックウオーキングのインストラクターの資格を県内で初取得。「そこで生徒さんが『歩いていたら気持ちが変わった』と言われたんです。そんな風に言ってもらえると思ってもいなかった」。新たな発見だったという。

靴を通し、豊かに生きる

インストラクターの経験から、心の部分に興味が出た岸田さんは、ヨガを習い始めてインドネシアで国際インストラクターの資格も取ってしまう。そこでの体験が大きな転機となった。「日本人は真面目に授業を受けるけど、模擬テストの発表では他国のメンバーの方が表現が上手で。真面目だと思っていたことが正解ではないと思ったり。国としての環境意識も勉強になったし、自然と人との調和などヨガの思想も、すべてが今につながっています」

岸田さんの価値観が変化し始めた頃、あるテレビCMが目に飛び込んだ。大量の靴が滑り台から流れ落ちてくる映像。なんとも言えない気持ちになった。「これではまずい」。大好きな靴、靴屋という仕事への思いが、彼を突き動かした。

2015年、自身の会社「シュプリ」を創業。靴を大切にするには何ができるだろうかと考え、浮かんできたのが靴の預かりサービスだった。「クリーニングや修理の技術はまだなかったんですけど、まずやってみようと。根拠のない自信でした」。修行も終えた今、技術を磨きながらお客様の靴を大切に扱いながら、革靴の他にも靴を扱いたい夢も広がる。

豊かさとは何かー。物が大量生産、大量消費される時代。古くなったら新しい物を買えばよくて、それをただ売るのが自分の目指す商売だろうか。靴を、靴屋という仕事を通して岸田さんは考える。「靴を大事にしてほしい」。それが、その人の生き方になると信じて。
文・写真 / 藤田和俊

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